インタビュー企画第6回ワインライフプロデューサー ミホヒラノさん

インタビュー企画第6回ではワインライフプロデューサーミホヒラノさんに
お話を伺いました。

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ワインライフ代表 ミホヒラノ
http://www.winelife.biz

・ワインライフプロデューサー
・JSA認定ワインエキスパート
・Wine& Sprit Education Trust(英国)Advanced Level

ワイン輸入販売商社株式会社道上商事とフランスでの体験を基に、
日本のライフスタイルに合わせた手軽に取り入れられるワイン生活を提案中。
気取らず型にはめないワイン観をネットラジオやネットメディアで展開中。

メディアでの掲載:
日本ビジネスプレス(2011年12月〜2012年8月)
ぴあ総研、DOMANI、毎日新聞、日本経済新聞

特に初めての方にワインの楽しさを伝えることを使命としている。

 

 

 

◎現在はワインライフプロデューサーとしてご活躍のヒラノさんですが、
どんな幼少期を過ごされたのでしょうか?

私は総合商社に勤めていた父の仕事の関係で、小学校時代の多くを海外で過ごしました。
小学校2年生から4年生まではフランスに、それから6年生までモロッコに住みました。
この時期は私の”自分らしさ”の核を作ってくれた、とても大切な時間でした。

特にパリでの思い出は凄く記憶に残っています。セーヌ川岸のアパルトマンに住み、
四季折々の景色や、歴史を感じる美しい建物が、生活の中に常に在りました。

こんな風にお話すると、皆さん『うらやましい』って言ってくださいますが、
当時の父の会社では先進国の駐在に対しては、ほとんどサポートがありませんでした。
安全で日本人社会のある高級住宅地に住むのは若い夫婦の家計には大変だったようです。
友達の家の車がベンツやBMWのピカピカのドイツ車でも、我が家はよく故障する中古のフランス車でしたから。
家賃は1980年代前半で20万円以上もしましたしね。

◎お小さい頃に特別な体験をなさったんですね。
流石にまだワインはお飲みになってないと思いますが・・・
ご縁はその頃からあったんですね。

ワインとの出会いはまだまだ先ですよ~。
パリでは主に日本人学校に通学しました。
官僚や大手企業の子女がほとんどで、入れ替わりが激しい為に、いじめも無かったですし、
日本の学校と同じカリキュラムでとても平和な時間でした。
少し違うのは弁論大会などでの小学生の視点のスケールです。
先進国の役割や、冷戦構造の解決策を模索する生徒も普通にいました。

5年生から6年生の間滞在したモロッコでは私立の現地校に通いました。
こちらはうって変わって多国籍な学校でした。
サンリオの文房具はしょっちゅう盗まれるし、教師に媚びる生徒もいるし、
言葉は通じないし、試験では進級もかかるし、宿題は多いし、
他にも日本からの通信教育もあるし、漢字は難しくなるしで大変でした。
僻地の功名か、日本語に飢えていたおかげで漫画だけでなく日本の新聞まで読むようになりました。
学校では主張できる言語力がなかったので、自己主張の場としてテストでは常に1番を守りました。
そういうと秀才に映りますが、ただの丸暗記なんです。
文法もパターンだけ覚えれば解けるので、
テストは満点でもフランス語は2年弱ではさっぱり最後まで解りませんでした。
いちいち辞書を引けば覚えたんでしょうけれどね。興味ないことに面倒くさがりなのは生来です。
今思えば、理解していないことを、よくあれだけ膨大に暗記しまくったな〜と。
反対に好きなものにはしつこくて、日本の歴史は漫画のおかげで、
穴があくほど何度も読んで帰国するまでにすべて覚えられました。
記憶力に自己を支えられていた2年でした。残念ながら、今はその記憶力は何処へって感じです。

3年間フランス、また2年間モロッコに行くことができた御陰で、
フランスにかぶれることもなく、異文化であるイスラム圏にも触れることができたのは大きな収穫でした。
一歩置いた目線で世界を見ることができるようになったからです。
国同士の争いや、歴史認識の問題など、授業で習うことが必ずしも正義ではなく、
実際にその国の人と触れ合う中で感じるものを大切にしたいと思うようになりました。
独特の国際感覚をもつことができたのは小学校時代の経験のおかげです。

◎小学生でそんな国際感覚を持てるなんて、素晴らしいですね。
でも同時に、帰国なさってからの事が心配になってきてしまいました。

まさにそうなんです。
中1で帰国してからの日本での学校生活は戸惑うことばかりでした。
ちょうど反抗期と重なっていましたし、優等生を装いつつ、
心の中は反骨心が渦巻いていました(笑
日本の厳しいばかりで意味不明な校則には疑問だらけですよ。
モロッコでは大きなピアスをつけて派手でも優秀な生徒が沢山いましたからね・・・。
ただイジメは怖かったので、主張もせず、ひたすら目立たないように努めました。
しかし、子供ながらに順応しようと相当なストレスがかかったようで、
偏頭痛には悩まされました。

高校はICU(国際基督教大学高等学校)に幸いにして受かりました。
私と違い英語ペラペラ族の帰国子女に囲まれながら、
自由で楽しい3年間を過ごしました。
(これはこれで衝撃を受けて、英語の苦手意識が10年位抜けませんでした)

大学は白百合女子大学の仏文学科に進学しました。
奇しくもこの進学がまさに神様のお導き?で
現在の私を運命づけることになります。
フランス語を話せるようになりたいと、
3年生のときにフランスに半年間留学しました。

◎成人してから再び訪れたフランスは如何でしたか?

日本語の古文のように聞き取れて読めるけれど
解らない存在だったフランス語が、
母国語のように耳に入ってきたときの感動は忘れられません。
「あ!日本語みたいに解っちゃった!」みたいな。

懐かしい、変わらないパリの街並や、街のもつ
匂いや音と色にはとても感動しましたね。

そして”ワインとの本当の出会い”は、まさにこの時にあったんです。
といっても、フランスでは生活と共に自然にワインがあって、
衝撃的な出会いっていう訳ではないのですが。
ロワール地方の地元のワインを楽しみ、
純粋な好奇心が満たされると、フランス語の勉強も一層楽しくなりました。
ホストファミリーと一緒に、決まったワイナリーに1年分のワインを買いに行き、
ポリタンクにワインを詰めて買って来て、ワインボトルのラベルも自宅で貼るんです、そのほうが安いから(笑
そして地下のカーヴにボトルをならべて、それを毎食時出してきて飲むんです。
彼らにとって普通のことが、私には凄く刺激的でした。
白ワインから入って、赤ワインの軽いものから順番に飲めるようになりました。
ボルドーにも旅行し、知識が増えていくと、それに比例してワインと触れ合うのがどんどん楽しくなりました。

◎帰国されてから、就職等でワインと関わることはあったんですか?

帰国したらワイン関連会社に就職したいと思っていたんですが、
当時は景気が悪く、女性の新卒採用なんてなかったんです。
それで次に興味のあったインテリアデザインの方面から、工房のある額縁屋さんにフルタイムで職を得ました。
額縁屋さんでは一生懸命働いてたんですが、途中で会社が傾いてしまって
その後はジェトロや電通のシンクタンクで派遣OLをしていました。

◎その頃は少し、ワインとは離れていらしたんですね。

そうですね。はじめは、接客から製作まで携われる額縁業で好きなことを仕事にしようとしました。
世の中の情報化が一気に進んだ時代だったので、次第にOAスキルがないことに焦り、
お給料をもらいながら習得できる事務職を探そうと。
当時は主婦業もしていたので、社会や世界との繋がりを感じられないと不安になっていたように思います。
特に興味のない分野の仕事も、自分なりの面白さを見つけて、
とにかく頑張って働こう、社会と繋がっていようと必死でした。

30歳の時に思い立って一度キャリアをリセットし、実家に帰ってまた仕事を1から探しました。
フランスのランジェリー会社に就職しましたが、
こちらも時代故か翌年撤退。気に入っていた職業でしたし、周りからは天職と評価されていただけにショックでした。

医学学会の事務局、ケーブルTV会社、フランスの証券会社など、
本当にいろんな会社を渡り歩いて色んな業務を経験しました。

ところが、いつも自分に自信が持てませんでした。
こんなに頑張ってるのに、何物にもなれてない自分。
時代を憂いても仕方ないですが、行く先々で困難な環境に当たってしまう。
母親には「アナタは運が悪いから」としょっちゅう言われ、ますます落ち込むわけです。
自己否定されているような気分になってしまい、全部乗り越えているにも関わらず、
完遂できない自分を責めてしまっていました。いくつになっても翌月のやりくりが不安な状況で、
周りと比べるとあまりに情けないと思ってしまっていました。報われないな〜って。

◎『報われない』という気持ちを、どうやって新しい一歩に繋げたのでしょうか?

私の場合は起業を決める前に、最後に働いていたのが小さなワイン会社でした。
そこではワインの基礎を教えていただき、正義感溢れる社長のもと沢山のことを学びました。正社員だったんですけれど、多様化する日本のワイン市場、他業界からの参入、古い業界の体質と、自分がのびのび働く環境をつくるのが難しく思えてきたのです。

それなら自分で何か起業しようと決意しました。
社会人になってからボーナスももらった経験がなく、雇われていても会社に守られているという感覚を得たことがほとんどなかったことが幸いしました。失って怖いものが一つもなかったからです。

起業セミナーの受講と多忙極めるワイン会社勤務の両立は無理と、
覚悟を決めてワイン会社はスッパリ辞めました。
もう十分頑張った。様々な業界を経験もした。そういう実感がすでにあったんだと思います。
身軽な派遣で働きながら準備すればいいと思ったんです。

◎そして満を持して起業の道に進まれたのですね。

起業を決めたこの頃から、
「待ってました!」と言わんばかりに、ワインの世界に引き寄せられることになるんです。
今まで良い意味で遠回りをしたからでしょうか。
起業セミナーを通じて出会う人にも、友人達からも、いっぱい背中を押してもらって、
ワインの講演依頼を頂いたり、日本ビジネスプレスという雑誌でワインの連載を持たせて頂いたり、
どんどん世界が輝きだしました。
しかも、今までの業務経験もすべて活きてくるので、報われなかったと思っていた過去にも今では心から感謝しています。

派遣をしながらワインセミナーや執筆を3年続けることで
かなりワインの勉強も深まりましたし、可能性がますます広がりました。

◎ヒラノさんのワインセミナーの特徴とは、どんなものなのでしょうか?

私のセミナーの特徴は、食事とワインを楽しみながら、初心者の方も詳しい方も一緒に楽しめるようになっています。
ワインをオタク級に極めるのではなく、まず楽しさと深さ体感してもらいたいからです。
『一杯のワインでこの条約が決まった』というような、歴史の1ページと共にあったワインのお話など、
ワインに関わるストーリーを皆さんと一緒に楽しみたいのです。
それからコミュニケーションとしての実用性をお伝えして行けたら良いなと思っています。
ワインはミュニケーションの潤滑油ですから。
どこにあっても社交的で明るいお酒で、西洋社会でもそれは同じ。
過去には戦争の後に負けた国が勝った国をワインでめちゃくちゃおもてなしして、
献上する土地を減らしてもらったなんていう史実もあるほどなんです(笑

◎ワインのセミナーなど、ワインと楽しく関わる機会自体が、今の日本ではまだまだ少ないですよね。
どうしたらワインを身近な物に感じていただけるでしょうか?

そうですね。やはり若い人にワインの楽しみ方を知っていただきたいので、
これからは大学の授業の一貫で、ワイン講義の講師をしたいと思っています。
ワイン文化論とか、絶対面白い講義ができると思うんですよ!

同じように、会社でのワインのマナー研修などにも取り組むつもりです。
企業のグローバル化が進むなかで、ワインの教養は必須です。
宗教的な観点からも、キリスト教とワインは関わりが深いですし、
ワインという切り口で世界中の人とお話することができる人材を育てれば、
企業の大きな力になるでしょう。ある意味英語と同じ位必須です!
実は、クライアントの性格まで、好みのワインから分析できるんですよ。

◎ヒラノさんのセミナーはいつも満員とお伺いしました。
集客の秘訣があったら教えて頂けますか?

セミナーの集客は、正直あまり積極的にできていません。というのもお客様が次のお客様を連れて来てくださるからです。
何回来ても楽しめるように、セミナーのテーマは季節やイベントに合わせて変えています。
セミナーはワインの広報活動だと思っていて、それ自体で利益がでるわけではないんですね。
しかし、そこでコミュニティやコンテンツに広がりが出来、次の仕事のフェーズに確実に繋がって行くんです。
講演依頼や執筆依頼には、ひとつずつ丁寧に答えていきたいと思っているので、
企業の研修担当の方や、商工会議所の方、大学の関係者の方など、ご連絡お待ちしております(笑

◎これからワインをはじめてみたい!という方に向けて、ぜひメッセージをお願いします。

一杯のワインでリラックスしながら人と寄り添うと、
とっても人生が楽しくなります。
ワインはハイソなもの、と思われがちですが、
こう思ってみて下さい。

『ワインは、お味噌汁』

そう、ご飯のお伴なんです。
西洋では実際にお水に近いものなんですから。
そして何よりビジネスシーンで頼れる武器になります。

気負いせず、ワインの楽しさや面白さ、コミュニケーションの潤滑油としての使い方を
みなさんと一緒に分かち合っていきたいと思っています。

ぜひ一度、セミナーに遊びにいらしてください!
楽しい時間を共有できたら嬉しいです!

◎ヒラノさん、ありがとうございました!

2014-09-16 | Posted in gallery, intaviwNo Comments »