インタビュー企画第13回石井真美先生編 前編

インタビュー企画第13回石井真美先生編 前編

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<石井真美先生プロフィール >
経歴:千葉県生まれ。
北米認定自然医師、音楽療法士、針治療師(伝統&美容)、
催眠療法士、および霊気マスター・指導者。 1998年渡米後、
フロリダ州マイアミ大学にて音楽療法と心理学の名誉学士号取得。
そして日本と北米においてセラピスト、
青少年向けの相談サービス「心の119番」カウンセラーや
Mt. Sinai病院にて精神医学研究助手などの経験を経て、
カナダ、トロントの認定自然医学校、Canadian College of Naturopathic Medicineを卒業。
Robert Schad Naturopathic Clinic、
Anishnawbe Health Centre、 Yores Healthなどでインターンとして研修。
2013年、文化精神医学の専門家であるDr.Ted Loと、
Integrative Mental Health Centre of Torontoを立ち上げ、
伝統医療、現代西洋医学と心理学における概念を融合しながら、
こころの健康に焦点を当て、身体と霊性および社会的つながりも大切にした
ホリスティック医療を目指す。
自己と自然と調和することによる自己治癒力の活性化、
ひとりひとりが生まれ持った美しさを味わい輝く自分らしい豊かな健康生活、
デリシャス・ライフを提案。

http://mydeliciousmoments.com/(オフィシャルウェブサイト)

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真美先生、今日はよろしくお願い致します。
現在はトロントで自然医師としてご活躍の石井真美先生。
今回は先生のヒストリーを前編でお伺いさせて頂き、
後編では現在のお仕事やこれからの活動のについて詳しく聞いて参りたいと思います。

早速ですが、
先生は小さい頃はどんなお子さんでしたか?

私は小さい頃は正義感の強い子どもでした。
幼稚園の頃から、多数決で「自分 対 クラスの皆」 で意見が分かれてしまったときにも、
しっかりと自分の信念や意見を言葉にするようなところがありました。
両親が私のそういう個性を認め、褒めてくれていた事は、今でも覚えています。

中学生の頃は養護学校で教えていた母の影響で教師になりたいと思っていました。
千葉県に住んでいたので、千葉大の教育学部への憧れもありましたね。
元気で健康で、勉強も頑張っていましたし、友達も沢山いて、そのころの私の世界は性善説で成り立っていました。

しかし高校1年生の時に交換留学制度で渡米したことをキッカケに、
私の世界は大きく広がっていきました。

まだ16歳のときに始まった留学生活だったのですね。
家族と離れて、異文化のなかに一人、大変なこともあったかと思います。

留学先では文化や言葉の壁を乗り越えることも大変でしたが、
ホームステイ先での暴力や
現地校のクラスメイトたちから苛めを受けたことが最も辛い出来事でした。
大人になった今思えば、アジア系の留学生であるという文化の違いや、
学ぶチャンスを人より多く貰っているという、妬みのようなものが綯い交ぜになり、
起きたことでした。

しかし当時は自分を責めることしか出来ず、苛めとは思わずに、
自分が悪いのだ。だからこれは罰なんだと思っていました。

高校生の女の子には、辛すぎる環境でしたね。
日本のご両親や先生に、助けを求めることは難しかったのでしょうか?

当時の私は、
自分のせいでそういった事態を招いていると思っていましたし
自分は沢山の日本の学生の中から選ばれてここに来たのだから
頑張らなければいけない。弱音を吐いてはいけない。
というプライドもあってそう思ってしまい、
ホストファミリーはもちろん
日本の家族には何も話すことができませんでした。
人間不審に陥ったまま必死に勉強する毎日でした。
私は段々と食欲がおかしくなり、摂食障害に陥りました。

そんなとき、私の心を救ってくれたのが音楽でした。
とにかくピアノとフルートの練習にお昼休みも放課後も費やしていました。
また、当時のボーイフレンドが送ってきてくれた日本の歌謡曲や洋楽を、
カセットテープで聞いていました。

正義感の強いお子さんだったからこそ、周りに心配や迷惑をかけたくないという
思いもあったのですね。
孤独で過酷な環境の中で、音楽という癒しに救われたことは、
先生にとってひとつの転機だったのでしょうか?

そうですね。美しいメロディに癒されるなかで、
音楽が人に与える様々なエネルギーを強く感じ、自分の居場所や大きな可能性を感じました。

やっとの思いで1年間の留学生活を終え、日本へ帰国しました。
しかし正直、帰国後も摂食障害は完治せず、体調が良くありませんでした。

大学受験ではやはり教師を目指して千葉大学の教育学部を受けようかと
随分悩んだのですが。

最終的に私はもう一度アメリカへ行く決心をしました。

もう一度留学を決意されたのですね。
辛い思い出のある国に、再び学びに行くという選択には
どんな思いがあったのでしょう?

そうですね。辛い思いも沢山しましたが、その経験があったからこそ、
人を癒すことのできる「音楽療法」について専門的に学びたいと思いました。
高校生の時に行った留学先は、田舎で寒い所だったので、
今度は多文化の交わる都会で暖かい所にいこう!と、フロリダ州マイアミ大学へ進学しました。

新しい環境でスタートを切った大学生活は如何でしたか?

大学の環境はとても良かったですし、音楽療法の授業もとても興味深いものでした。
しかしどうしても摂食障害が良くならず、人を癒す勉強をしているのに、
自分が閉じこもりになって今にも倒れそうという、本末転倒な状況でした。
ある日心配した友人が大学のヘルスセンターに連れて行ってくれて、
そこで初めて自分の癒しの旅が始まることになったのです。

私はいつ死んでもおかしくない、と心臓マヒのリスクを警告されるほど、不健康な状態でした。
そして先生は私の話を過去に遡って丁寧に聞いてくれました。
私は今まで自分の内側に留めてきた思いを、初めて吐き出すことができたのです。
辛かった交換留学生時代、私は罰を受けていたのではなく「苛め」と「虐待」に遭っていたのだと
初めて理解することができました。

そこから先生方はチームを組んで下さり、
薬の処方やカウンセリングなど、心身共に治療を受けることができました。
私は段々と回復して行く自分の心と身体と向き合いながら、
専門である音楽療法以外にも、心理学など多くのことを学びました。
そしてこの時出会った先生の影響もあり、段々と医療や心理学の魅力に魅せられて、
精神科医になりたいと思うようになりました。

やっと癒しの時が訪れたのですね。
自分の身体で実感を伴いながら学び、回復されていったことは、
真美先生だからこそできたのだと思います。

卒業後は精神医学を志されたのですか?

マイアミ大学卒業後は医大進学を目指しカナダへ渡りました。
現地の大学で有機化学などの医大進学に必要な科目を取りながら、
精神科医の先生の助手をさせて頂いたり、ボランティア活動をしたりも。

トロントでの新しい生活が始まったのですね。
宜しければ大学生活以外の暮らしについても聞いてみたいです。

トロント時代に2年間、「心の119番」という
日本の子どもへ向けたメールカウンセリングの相談員をやっていました。
企業がスポンサーをしていて、当時は画期的なサービスでした。
やはり面と向かって大人のカウンセラーと話すのは、子供にはハードルが高いと思いますから。
そこでは苛めや虐待の相談が多く、自分の過去の経験がすごく役に立ちました。
相談してくれる子どもの気持ちが、本当に良くわかりましたから。

「心の119番」は今はもう無くなってしまいましたが、
日本から遠く離れていた自分が、傷ついた子どもたちの助けになれた事は本当に嬉しかったです。

辛い経験を乗り越えて、誰かの救いになるということは、
生きる意味を感じさせてくれますね。

生きる、という言葉で思い出されるものには、トロントの現地の懐石料理屋さんがあります。
そこで食べさせて頂いた懐石料理には、
「美しい。美味しい。生きていていることが嬉しい!」と感じました。
ちょっと大げさかもしれないですが、
過去に摂食障害を抱えていた私にとって、食は罪悪感を感じてしまうものでしたから、
感動がとても大きかったのです。
何度もお願いしてアルバイトをさせて頂き、お店の看板娘のように可愛がって頂きました。
日本人としての誇りや、食に対する前向きな気持ちを育てることができ、
私のトロントでの居場所となりました。

ひとつひとつの出会いと経験が、真美先生を癒し、優しいパワーを与えてくれている
ことを感じます。『先生』になっていく為の、大切な道であったことが伝わりますね。

そうですね。やっと治療する側の心や身体の基礎ができてきたような感じでした。
勉強のほうの話に戻るのですが、
精神科医の勉強を進める中で知ったことは、精神科の治療は薬学療法であるということでした。
患者さん一人一人のストーリーに耳を傾ける時間はほとんどなく、
薬で治療を進めてくことに疑問を感じました。

なるほど。日本でも鬱病の方に特定の薬を処方して、それ無しには生きて行けなくなってしまうひとも、 多いと聞きます。

もちろん、治療の段階においてはお薬が必要な時もあるのは分かっているのですが、
それが最終的な解決法ではないんです。

そんな思いを抱えて、精神科医への道に迷いを感じていたとき、
出会ったのが自己治癒力に焦点を当てた、ヨガや瞑想など
伝統医療の理念と西洋医療を取り入れた自然医学の世界でした。
食生活の改善や心身の安定を大切にする自然医学は、日本人である私にとって
すぐに慣れ親しむことのできるものでした。

こうして現地でのインターンやボランティア、大学での科目履修、懐石料理屋さんでのアルバイトなど、
沢山の経験と学びを経て、私はトロントの認定自然医学大学へ進むことを決めました。

真美先生ありがとうございました。
次回の後編は、様々な経験を糧についに自然医師としてのキャリアをスタートさせ、
デリシャスライフを提唱する先生のご活躍に迫ります。

つづく

2016-02-07 | Posted in blog, intaviwNo Comments »