マンションコミュニティ研究会代表 廣田信子さんの記事【迷惑?高齢者のマンション「孤独死」が資産価値を200万円下げる】

マンションのことなら誰よりもよく知る廣田信子さんがマンション住まいの方、これからマンションに住みたいと思っている方、マンションに関わるお仕事をされている方など、マンションに関わるすべての人へ、マンションを取り巻く様々なストーリーをお届けいたします。
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【迷惑?】高齢者のマンション「孤独死」が資産価値を200万円下げる

近年、急増しているという、マンションに住む高齢者たちの孤独死。一級建築士、マンション管理士などの資格を持つ廣田信子さんが、マンションでの生活や管理組合の運営などに関する話題を提供するメルマガ『マンションオタクのマンションこぼれ話』では、一筋縄ではいかないという「高齢者見守り」について、問題を提起しています。

マンションの高齢者見守りは誰のためのもの

こんにちは! 廣田信子です。

先週、ワンルームマンションで車椅子ながら自立して、前向きに生きている高齢者の方の話を書きましたが、実はその前日、仲間との会合で厚労省が進めている「地域で高齢者等のサポートを行う体制づくり」をどう進めるか、ということが話題になりました。

この問題に積極的に取り組んでいる方々からは、行政との連携、地域のネットワークづくり、管理組合の責任等、大きな枠組みに関する話が出ました。
そこで、「支援の枠組みの中に入るのは高齢者の義務」というような話も出ました。

その話を聞いて、いつも、普通の住民感覚で大事なことを言ってくれるAさんが、また、いい話をしてくれました。

うちの父はマンションで一人暮らしなんだけど、地域包括支援センターの人とかが訪ねてきても、めんどうだから……って出ないのよね。
自分のことは自分で考えるから、放っておいてくれ……という感じで、「いきなりピンポン、ピンポン言われると、今やっていることを中断しなくちゃならなくて、迷惑なんだよね。」って言うのよ。
自分は自分よりずっと若い友人がいるから、気が若くて、自分は元気で、楽しく暮らしているのに、年寄扱いされていろいろ聞かれるのがいやみたいで、「訪ねてくるのも年寄だしなんて憎まれ口もきくのよね。
でも、それが父の生き方だし、元気の元だから、そのことで、もし急に倒れて亡くなったとしても本人も本望だろうし、私もそれでいいと思っているのよ。

誰のせいでもない……って。

一人暮らしでは、急に具合が悪くなったときに、救急車を呼ぶことができずにそのまま亡くなるというリスクは、あっても仕方がないのです。
たとえ家族と暮らしていても、たまたま一人でいるときに発作がおこることもあるのですから。

施設に入るなどして、常に監視(?)の目がある状況に身を置いて、そのリスクを限りなくゼロにすることに神経を使って生活するという方法もあるでしょうが、そのために、自分の自由や普通の日常が制限されるのは望むところじゃないんです。

高齢者にとっては、一日一日をどれだけ幸せに過ごせるかということが一番大事で、何を幸せと感じるかは、人によって違って当たり前です。

常に誰かに見守られていたい、話し相手が欲しいという人には、ご近所付き合いのネットワークがとても大事になるでしょう。

でも、みんながそうという訳ではありません。

できるだけ自由に生きたいという人は、たいてい行政の人にいろいろ聞かれたり、老人会の集まりみたいなのが苦手です。デイケアセンターで、みんなで体操したり、歌を歌うなんていうのもいやなんです。私の父もそうでしたから、よくわかります。

それはそれで仕方がないのかな。リスクを背負っても自由に生きるという選択もありなのでは……と思ってAさんの話を聞いていたら……「それは我儘だ」との声が。

孤独死が出ると、マンションの資産価値が200万円は一気に下がるんだから、周りの迷惑を考えて、孤独死しないようにする義務がマンション住民にはあるんだ……と。

孤独死の後始末にどれだけお金も労力もかかるか、親族に連絡しても、かってにそちらで処理してくれというような人もいるのだから……と。

その苦労を経験した人の言葉は強かったです。
Aさんの場合は、週に2回は娘であるAさんがお父さんと何らかの連絡をとっているので、もしものことがあっても、1~2日の間には親族が駆けつけ、何日も放置されるような、いわゆる孤独死にはならないのですが、、、
そういう連絡を取り合っている親族がいない高齢者もいます。中には何らかの事情で親族と絶縁していて、亡くなった後に連絡をしても受け取りを拒否するケースもあるのです。

じゃあ管理組合が、一人暮らしの人からは、万が一の後始末費用を事前に預かっておくことも必要? なんて、冗談(?)まで出たのですが……。

親族や近隣とのつながりがあって、亡くなったことに誰も気が付かないというような心配はいらない人と、孤立していて、何日も誰も気が付かないという状況の人と簡単に見分けがつかないから大変です。

サポートが必要な人かどうかは、直接、話してみなければわかりません。
話す機会を持っても、親族との事情は、よほど心を許さないと話さないでしょうから、時にはうるさがられながらも地域包括支援センターや民生委員の人は足を運ぶのです。

これからマンションの管理組合や自治会も、その活動の一部を担うことになると、やはりうるさがられても足を運ぶことになるでしょう。

その見守りが、その高齢者のためというより、マンションの資産価値下げないため、管理組合が面倒なことに巻き込まれないようにするため……と言うのは、一瞬ちょっとさびしい気がしますが、放っておいてくれタイプの人は、周りに迷惑を掛けるのもいやでしょうから、きちんと話せば理解して、いざというときの対策を自分でとるような気がします。

「あなたのためだから」というアプローチよりは、心に届く気がします。

私も、できるだけ自由に生きたいタイプですが、だからこそ、周りに迷惑を掛けないための準備をしておかなくては……そして、それをちゃんと届け出ておかなくては……と改めて思いました。

そういう意味では、自分の死後のことを考えずに、行政や管理組合のアプローチも拒否もして、一人でひっそり死んでいく自由は、マンションにはないのかもしれません。

2015-10-12 | Posted in blogNo Comments »