2015-03

株式会社オフィス・オウさんの記事【週刊・中国情報:2015/02/23】

● 春秋航空は1/21、上海証券取引所に上場!

中国の民営資本航空会社としても、LCC としても初の上場案件となる。 新規株式公開では約17億5500万元(約 333 億 4,500 万円、1 元=約 19 円)を調達し、「エアバス A320」9 機の購入費や運転資金などに充てる。 春秋航空は2012年10月、日本で中国企業として初の航空 会社“春秋航空日本(IJ)”を設立し、2014/8/1に成田~高松・成田~広島・成田~佐賀を結ぶ日 本国内線3路線をそれぞれ就航した。 これは相対的に空港発着料や管制塔利用料が安い、高松・ 佐賀などの地方空港を利用しながら、既に春秋航空が運営している上海~高松・上海~佐賀の国際 線を生かして、中国人旅行客の日本首都圏への乗り継ぎ需要を掘り起こす狙いだ。

● 武漢市の娯楽産業分野、娯楽施設の建設が続く!

2011/9に武漢初の大型テーマパーク「武漢海昌極地海洋世界」の開業以降、既に開園しているテ ーマパークの中で最も注目されている施設は、2012/4に開園した「武漢歓楽谷(ハッピーバレー)」だ。 「歓楽谷」は中国全土に展開する人気テーマパークで、武漢は深圳・北京・成都・上海に続く5番目の 拠点となった。 「武漢歓楽谷」は、武漢市の中心を南北に流れる長江の東部側の武昌区にある東湖 風景区に立地した娯楽施設だ。 35万平方メートル規模の広大な敷地内を8つのエリアに分け、69 のアトラクションを設けている。 中でも「江城エリア」は、フェリーボート・トロッコ列車・人力車など192 0年代の武漢の街並みが再現された設計になっており、地元民から人気を得ている。 来園者数は、 開園から700万人に達した。 来園者は武漢市民だけでなく隣接する湖南省や江西省など中部地域 からも多く、武漢市の新たなシンボル的存在になりつつある。 武漢市では今後も、大型テーマパークの開園が計画されている。 2015年に開園予定の「世茂嘉年 華」は、中国国内最大規模の屋内テーマパークとなる見込みで、同テーマパークは、香港の大手不動 産開発会社である「世茂集団」が400億元を出資、建設を進めている。 目玉となる施設は、「世茂嘉 年華商業中心」と称される総合娯楽施設だ。 敷地面積は53万平方メートルで、テーマパーク・ショッ ピングモール・映画館・レストラン・ホテルなどが併設される計画だ。 同テーマパークの年間の収容能 力は2000万人に上り、10万人以上の雇用を生み、関連商業施設の売上高として100億元を見込 んでいる。

● 中国、海外医療ツーリズムがブーム!

中国のメディカル・ツーリズムはすでに新興産業となっており、サービスの質を保証し、標準化・システ ム化して中国内外の医療ネットワークにマッチングしていくかが、中国メディカル・ツーリズム市場の鍵 となっている。 メディカル・ツーリズムは中国ではすでに早くから実施されており、訪問予定先の海外 の中で日本は主要な目的地の1つとなっている。 日本への「ガン予防・検診」のメディカル・ツーリズムを実施している某グループ企業の一例をあげると、 同プログラムでは現在、日本で計300種類の「ガン」を検診することができるという。 医師が問診する内容は、受診者の家族史・過去の病歴・個人の生活習慣などの問題に及び、多元的 できめ細やかな一連の検査が2日間にわたって行われる。 機器を使った全身検査・生化学検査・腫瘍マーカー検査・医療設備による、検査・全身CTスキャン・免 疫血清検査など、医師団は総合的に診断を行うと同時に、ガン予防についての講座を行うという。 多くの中国人は、日本での検診について最も深く印象に残ったのは、医療サービスだったとしている。 中国では健康意識の高まりとともに、メディカル・ツーリズムが人々の生活に溶け込み始めているが、 メディカル・ツーリズムは欧米などの先進諸国では、既に成熟化している。 また、中国人女性の間で、日本での血液クレンジングを目的としたメディカル・ツーリズムがブームにな っている。 血液クレンジングは検診者の血液を100cc抽出し、それにオゾンガスを溶解させて血液を 活性化させ、さらに体内に戻して、血液すべてを活性化させるもので、主にアンチエイジングに効果が あるとされている。

2015-03-02 | Posted in blogNo Comments » 

 

インタビュー企画第8回 一般社団法人メンタルバランス研究所専務理事 宇佐見彰さん 後編

インタビュー企画第8回後編では、ひきつづき、
一般社団法人メンタルバランス研究所 専務理事、
株式会社リアルパートナー アドバイザーの
宇佐見 彰さんにお話を伺いました。

 

前編はこちら

 

宇佐見 彰さんプロフィール
Ike_
昭和46年英国ソニー、ソニーオランダ駐在員
昭和47年NATO(北大西洋条約機構軍)PXビジネスソニー全権代表
昭和48年ソニーフランス設立
昭和60年ソニー本社退職
昭和61年(株)ビジネスカルチャーセンター設立
(社)日本お助け隊 隊員
(社)メンタルバランス研究所 理事
(社)スウェーデン社会研究所 理事
ソニーOB会 理事

 

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未来の自分に手紙を書こうとして、3年も掛かってしまった。
前回はそこまでお話して下さいました。

そうですね。
つまりそれは、10年先の自分に「今何してる?」と書こうとして、
その返事が全く思いつかなかった、ということなんですが・・・
それを突き詰めるうちに、
自分はなんの為に生きているのか?
そういう事を考え続ける日々がつづき、ついにソニーからの独立を決めました。


独立後はどんな会社を経営なさっていたのですか?

 

ソニーから独立し、
まずアメリカの工場時代に培った「ドキュメンテーション」(業務説明書)作りをベースに、
営業マンの営業プロセスをデータベース化し、
営業成績を底上げするというシステムを開発しました。
営業マンの個人の力量や経験則に頼らず、
成功事例から営業時の持ち物まで、システム化、
可視化することで、新人からベテランまでその会社の営業と言う業務の
ドキュメンテーションを共有できるようにしたのです。
それを大手コンピューター会社に卸すことに成功しました。

その後、電話の音声ガイダンスで車検を予約するシステムを開発し、
大手車メーカーに卸しました。
他のメーカーへ乗り換えられてしまうことを防ぎたかったメーカーは、このシステムを導入し、
車検の引き取り日を音声ガイダンスに従ってお客様に電話でふき込んで頂きました。
人件費をかけることなくスムーズに、メーカーが最新の車種の代車を持ってお客様の所へ行き、
上手く乗り換えの営業するというやりかたは、おおいに成功しました。


新しいシステムを開発し、順調な会社だったのですね。

 

そうして千葉県の納税ランキングで8位になるほど上り詰めた会社でしたが・・・
その後、不景気と、電話音声システムの売り上げの不調で、
売り上げが激減、税金が払いきれなくなったんです。
国税局で自殺を覚悟するほどの地獄をみることになりました。
今考えれば、人や社会を顧みる、経営者としての自覚も度量も足りなかったように思います。

絶好調期から、自殺を考える程の転落人生を経験し、その後、私はもう一度
人に寄り添えることをしたいと考えるようになりました。

 

 ご自分の辛い経験から、同じような状況の経営者の方に目を向けられるようになったのですか?

 

はい。それからはライフアドバイザーとして、
中小企業や個人の相談役やコンサルティングをしています。
日本では倒産や自己破産をすごく悪いイメージで捉えますが、
アメリカでは資産の公私が分かれているので会社が倒産しても自己破産にはなりません。
そして倒産した後にまた結構すぐに会社を立ち上げられるのです。
日本であれば倒産した会社の元社長なんてイメージが悪いですが、
アメリカでは経験者ということで逆に次の会社の評価が上がるくらいですから。
つまりなにが言いたいかと言うと、日本の会社の倒産などによる、
経営者の命の問題に、私は寄り添いたいんです。
日本では年間、いったい何人の経営者が自殺しているでしょう。
私も一歩違えば、その統計に入っていました。
しかし、生き延びた。その経験を、誰かの助けとしたいのです。
そして近年ではスウェーデンの「持続可能な社会」という取り組みを勉強し、
広める活動もしております。
これは人間だけでなく動物、植物、
ひいては地球全体が持続可能な社会をつくるという取り組みです。

それからもう一つ、今の活動の基盤になっているお話があります。
それは「ビル・ゲイツからの手紙」です。

 

 「ビル・ゲイツからの手紙」は宇佐見さんの講演のタイトルにもなっておりますよね。
どんなお手紙だったのでしょう?

 

これはソニーを辞める前のお話ですが、
私はソニーを通じてビル・ゲイツから手紙をもらった事があるんです。
まだ、マイクロソフトが設立されたばかりのころです。
そこには事業計画書が書いてあり、資金集めの為の手紙だと言う事がわかりました。
ソニーは当時既に世界的に名が知れていましたらから、
そういうベンチャーからラブレターは確かに沢山着ていました。
当時コンピューターといえばIBMの時代で、
そのコンピューターの中のソフト(MS-DOS)を作ったのがマイクロソフトでした。
そしてその事業計画書には、
IBMから独立して世界中のすべての会社のコンピューターのソフトを作りたい、
その為に株主になってくれないかと、熱い想いが書かれていました。
そのころ私はマイクロソフトという会社も、
ビル・ゲイツという名前も知りませんでした。
5cmほどあった手紙のうち、後半は事業計画、
そして前半はビジネスとは全く関係ない事が書かれていました。
私が『ビル・ゲイツからの手紙』と言ってるのは、
この前半の部分で、彼はまず弁護士であるお父さんのことを
一生懸命書いていました。
続いて「お父さんお母さんを大切にしよう」みたいなことが書いてあって、
正直、なんだこれは?と思いました。
実はこれは論語だったんです。英語だったので、
すごくシンプルな文章で、当時はそうとは気付きませんでした。
つまりそこには自分のルーツや哲学を書いてあったのです。

彼は東洋哲学を非常に良く勉強していて、
儒教の教えや道(タオ)についても書かれていました。
正直、内容を理解できたのは20年も経ってからでした。
もし当時、この手紙の意味を私が理解できていたら、
もしかしたらマイクロソフトはソニーの関連会社だったかもしれませんね。

もしあの手紙を読んだのが、ソニー創業者の盛田さん、
ソフトバンクの孫さんであったら、「面白い!」と言って、
返事は変わっていたでしょうね。

手紙には公益資本主義についても書かれていました。
お金でお金を生む事業には限界があり、社会には実業が必要だと言う事です。
より人に介在し、関わり、汗を流す『実業』。
それに対して、金の先物や株などで儲けるのは虚業であり、
長くは続かないと言うことです。
会社ではなく社会、ひいては地球のことまで考える、
哲学を軸とした事業計画、それが手紙の中にはありました。
これは先ほどお話したスウェーデンの「持続可能な社会」にも繋がりますね。
こうして、手紙に書いてあったビル・ゲイツからのメッセージを、20年経った今、
私がメッセッンジャーとして広める活動をしているのです。


このように様々な貴重な経験をしてきた宇佐見さんだからこそできるセミナーが、

今、人気を集めていらっしゃるのですね。

 

これからも自分の経験や勉強してきた事を生かして、人に役に立つことを
していきたいです。セミナーや講演会なども積極的にやっていきたいです。

それから、実は私には小学校2年生の息子がいまして。
若いビジネスマンのお父さんよりは、家にいる時間が長いですから、
息子に余裕を持って接することが出来ていると思います。
家族がいてくれることにより、それまでに増して、
これからの社会のこと、暮らしのこと、
地球のことをより長い目で大切に考えられるようになりました。
この気持ちを大事にしながら、
これからもライフアドバイザーとして活動を続けたいと思っています。

宇佐見さんありがとうございました!
宇佐見さんの最新のセミナー情報は、弊社ブログで随時ご紹介いたします。

2015-03-01 | Posted in blog, intaviwNo Comments »