インタビュー企画第10回 特定非営利活動法人かものはしプロジェクト 村田早耶香さん前編
インタビュー企画第10回
特定非営利活動法人かものはしプロジェクト共同代表 村田早耶香さん前編
<村田早耶香さんプロフィール>
東京都調布市出身。
フェリス女学院大学国際交流学部卒業。
特定非営利活動法人かものはしプロジェクト共同代表。
~はじめに~
『子どもが売られない世界を作る。』
特定非営利活動法人かものはしプロジェクトは、
子どもがだまされて売られてしまう問題を解決するために、
2002年に設立されました。
①子どもを買う人を取り締まる
②大人に仕事を、子どもに教育を
③売られてしまいそうな子どもを保護する
子どもを守るこの三つの取り組みを行うため、
サポーターからの協力を得て、
カンボジア、インドで支援活動を進めていらっしゃいます。
今回のインタビューでは、共同代表 村田早耶香さんに、
設立の経緯、それからの13年の取り組みについて、貴重なお話を聞く機会を頂きました。
かものはしプロジェクトさんのWEBサイト
http://www.kamonohashi-project.net/
<村田早耶香さんインタビュー 前編>
村田さん、今日はよろしくお願い致します。
まずはお生まれなど、小さい時のお話から聴かせてください。
私は東京の調布市で生まれました。
子どもの頃は性格的におとなしいほうでしたが、芯は強かったと思います。
アニメなどTVのなかでも、悪い事が横行していたり、
悪い人がのさばっているような描写があると、
なぜ?そんなの許せない!という思いが幼い頃からありました。
優しく、正義感がお強かったのですね。
問題意識や改革意識を持つ姿勢は、
お父様、お母様の教育方針もあったのでしょうか?
そうですね。
父には小さい頃から日本の問題だけでなく世界で起きている問題について、
興味を持つように自然に教育されたと思います。
国内外のボランティア活動等についても、父から話しをきいていました。
それは両親からの「人の痛みがわかる人間になりなさい」というメッセージだったと思います。
学生時代に印象深かったボランティア活動やエピソードがありましたら、
是非教えて下さい。
中学生の頃に、お年玉の1万円をタイの同い年の女の子に寄付することができたら、
彼女は1年間学校に通える、ということを知った時は衝撃的でした。
国の違い、物価の違いでこんなに生活や教育に差があるのかと知ると同時に、
私が持っている1万円があれば、誰かを救えることもあるのだと、
希望にも似た思いが涌き上がりました。
もっと自分に何が出来るか知りたい、勉強したい、という想いを持たれたのですね。
そうですね。
同じ頃、国境なき医師団の映像をテレビで見て、
日本人の医師の方による草の根の支援にも感銘を受けました。
それは、もっと本格的に勉強したいと思うきっかけになりましたね。
ただ、普通の15,6歳の子どもがすぐに海外へ向けた支援に参加できるかというと、
やはり難しく、大学に行ったら思いっきり学ぼうと思っていました。
高校時代は部活動の和太鼓に夢中になっており、地方に演奏しに行ったりと、
とても忙しく過ごしていましたので・・・
実は受験勉強には少し出遅れてしまったのですが(笑
引退後の夏から勉強をし始めて、
海外支援の勉強ができるフェリス女学院大学国際交流学部へと進学する事ができました。
村田さんの芯の強さが部活に勉強にと、発揮された高校時代だったのですね。
希望の学部へ進学し、大学での勉強はいかがでしたでしょうか?
入学してからすぐに地雷の勉強をしました。
ちょうどそのとき、
地雷をなくす活動でノーベル平和賞を受賞したジョディ・ウィリアムズさんが、
大学に講演に来て下さることになったんです。
構内で学生達にジョディさんの活動をより知ってもらえるよう、勉強会を開催するなどの活動をしました。
それがきっかけで学生代表として、ジョディさんの講演後のパーティーでスピーチをする機会を頂きました。
ジョディさんの講演で印象的だったのは、”政治家でもない一般の女性が世界を変えた”という事実でした。
ジョディさんも小さい頃はおとなしい性格だったそうで、すごく共感しました。
自分をより良い方向に変える努力をするのと同じように、世界をより良くする努力をする。
その、”私たちにもできる”と感じさせてくれたことが嬉しかったですね。
その気持ちを素直に表現したスピーチも、ジョディさんは大変喜んで下さいました。
ジョディさんは『地雷のない世界をつくる』という目標に臨まれ、
村田さんは現在『子どもが売られない世界をつくる』という目標に取り組まれておりますが、そのきっかけはどんなことだったのでしょうか?
大学2年のときの授業で、世界には子どもが売らてしまう場所がある、
女の子が売春を強要されている場所があるという現実を知りました。
被害にあったとされる子どもの年齢は、当時の私と変わりませんでした。
その子が12歳の時から売春をさせられていたとききました。
生まれた場所が違うだけで、
片方は生活することすらままならず生きる事に精一杯なのに、
片方はどうやって勉強をさぼろうか考えている。
騙されて売られ、虐待を受けて亡くなった少女の『勉強したかった。』という言葉を、
私は世界に届けたいと思ったのです。
かものはしプロジェクトの立ち上げ前は、
とにかく子どもが売られてしまう現実があるということを知ってもらう活動を一人でしていました。
NPO団体や、ボランティア団体などに沢山顔を出して、
多くの人に会いに行って話をしたり、聞いたりしました。
そのなかでわかった事は、例えば地雷のように、
問題が解決へと向かっている事もありましたが、
当時この子どもの人身売買については取り締まりに課題があり、被害者が減っていないということでした。
つまり誰かがやり続けなければいけないということを強く感じたんです。
ご自分がそのやり続ける人になると、志されたのですね。
そこでいよいよプロジェクト立ち上げに至るのですね。
そうですね。共同代表の2人とは大学の勉強会で知り合ったのですが、
2人は最初はそこまで海外の問題に関心を持っているわけではなかったようです。
しかし、私の”子どもが売られる問題を無くしたい”という強い想いや、
悲しい現実の問題についてを話しているうちに、
次第に興味を持ってくれるようになり、
「応援したい、協力したい!」と言ってくれるようになりました。
このように、はじめは大学生3人がスタートさせた、半年間のプロジェクトだったのです。
それがこうして13年にも続く、大きなプロジェクトとなっていったのですね。
こちらで幼少期~学生期として、いったん前半部分を終了させて頂きます。
後編はより具体的な現在の活動についてお伺いして行きたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
かものはしプロジェクトさんのWEBサイト
http://www.kamonohashi-project.net/
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