インタビュー企画第2回業務提携契約専門の行政書士 遠藤祐二さん
インタビュー企画第2回では業務提携契約専門の行政書士
遠藤祐二さんのインタビュー前編を掲載します。
業務提携契約専門の行政書士
遠藤祐二
【略歴】
1967年
東京都中野区生まれ
1985年
横浜翠嵐高校卒業
1989年
中央大学法学部法律学科卒業
1989年
NTT入社
料金回収、システム販売営業を得て、マレーシアでのインテリジェント・ビルディングシステム構築プロジェクトに4年間従事。
現地での会社設立、契約交渉、各種事業ライセンス/政府優遇措置取得のためのマレーシア政府当局との交渉業務を一手に行う。
2001年
東京特殊電線株式会社入社
法務担当として、海外/国内の契約交渉サポート、
海外現地法人設立及び各種事業ライセンス/政府優遇措置取得のための関係当局との交渉業務に3年間従事。
2004年
アルゼ株式会社入社
ラスベガスのカジノホテルにスロットマシーンを販売するために必要な
米国ネバダ州当局とのライセンス取得交渉業務及び訴訟対応業務に2年間従事。
2006年
スミダコーポレーション株式会社入社
中国、台湾における合弁会社設立、M&Aを多数手がける一方、 海外/国内に おける契約交渉サポート業務に3年間従事。
2010年
行政書士試験に一発合格。マスター行政書士事務所を開設。
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マスター行政書士事務所
業務提携契約専門の行政書士 遠藤祐二
〒135-0016 東京都江東区東陽2-4-39 新東陽ビル4階 42号室
TEL:03-5633-9668 FAX:03-5633-9669
email:info@master-gyosei.com
HP1:http://www.master-license.com/
HP2:http://www.master-gyosei.com/
Blog1:http://ameblo.jp/master-license/
Blog2:http://ameblo.jp/master-houmu/
Facebook:http://www.facebook.com/Master.Endo
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◎まずは生い立ちからお伺いしてもよろしいですか?
僕は4歳頃から社会人になるまで、ずっと横浜が地元でした。
緑区というところで、のどかで名前の通り緑がいっぱいのところで、
虫取りなんかする活発な子どもでしたね。
◎思い出深い部活や学生時代のエピソードを教えて下さい。
僕は中学3年間をブラスバンドに捧げていたんです。パートはホルンでした。
激しくて厳しくて怖~い音楽の先生について、吹奏楽コンクールの全国大会を目指して、
競争の世界にさらされた3年間でした。毎日朝晩練習で夏休みなんて一日しか休めないような感じでした。
それが少しトラウマになってしまって、その後は人と競争するのが凄く苦手でしたね。
大学ではバイト仲間とサークルのような集まりを作って、とにかく皆で仲良くできることを
企画するのが得意でした。
企画の遠藤なんて呼ばれていたんですよ。
◎卒業されてから、すぐに行政書士を目指されたんですか?
いえいえ、結構ここから歴史が長いんですよ(笑
僕が最初に入った会社は、NTTでした。
行政書士とは関係ない仕事です。
はじめての仕事は電話料金の回収担当だったんですが、ヤクザの組事務所の
電話を停めたら怖い人が窓口まで怒鳴り込んできて殴られたり
横浜なので外国人の方を相手にすることも多かったですね。
そこで、下手くそな英語を使って電話料金の支払督促をしたり、
電話の申込手続の説明をしたりしているうちに、
その営業所の外国人窓口みたいになっていって。
それが本社の耳に入って、ある時仕事でマレーシアに行ける事になったんです。
NTTに勤めて7年目のことでした。
電話料金の回収って、言葉だけ聞くときついだけで全然面白くなさそうですけど、
僕は面白くないことも面白くしたり、面白さを見つけるのが得意だったし、好きでした。
今はすぐに仕事を辞めてしまう若い人も多くいますよね。
それも一つの選択だとは思うんですが、
『面白さを見つけて』長く仕事を続けた先には、大きなチャンスが巡ってくることもあるんです。
面白さをみつけるセンスって、生きて行く上で絶対に必要なんです。
これは大きな学びでしたね。
◎マレーシアではどんなお仕事をされていたんですか?
そうそう、マレーシアでNTTがなにをしてたかっていうと、
テレコムマレーシアという電話会社が新本社ビルを建てることになって
その全システムをNTTが作る事になって、
30人くらいのエンジニアが派遣されることになったんです。
でもその当時はマレーシアにNTTは会社もなかったものですから、僕が派遣されて
会社設立から始まって、テレコムマレーシアや下請業者との契約交渉、政府関係当局への
許認可申請・交渉そして現地の人と日本から派遣されたエンジニアの人たちの、やり取りの仲介役をしていました。
ここで僕の今の仕事の大きなキーワードである、『交渉』との出会いがありました。
もちろん英語ですべて対応するわけですから、戸惑いもありましたが、
マレーシアという他民族国家でコミュニケーションについて学べたのは僕の人生の中でとても大きなことでした。
◎異国の異文化に触れたことで、ご自身に変化などはありましたか?
もちろんありましたね。
マレーシアでは過去に民族紛争が1度しかおきていないんです。
僕たち日本人はコミュニケーションはなんの為にとるかと聞かれると、
だいたいの人が「お互いをわかり合うため」と答える人が多いと思うんです。
でもマレーシアの人たちは、「あなたと私は違うということに気づくため」と答えるんです。
これって一見、「さびしい考えだなー」と思うかもしれませんが真理だと思うんですよね。
「お互いをわかり合うため」なんて言っているその潜在意識には必ず「相手を自分の思う通りに
コントロールしたい。」っていう気持ちがあるんです。マレーシアの人達はそれをよくわかっている。
そして、「あなたと私は違うんだ!」というところがまず基本にあるから、「じゃーその上でどうしようか?」
って知恵を一生懸命に絞り出す。
それこそが多民族国家で生きて行く知恵だということをマレーシアの人たちに教えてもらいました。
これは日本にいたら気付かなった考え方でしたね。
そしてもう一つマレーシアに行ってよかったことは、
NTTという、日本では皆が知っている会社の看板ナシでも、
『自分は仕事ができる、この腕一本で。』と思えた事です。
マレーシアで当時、NTTの社員です、なんて言っても、
「NECの子会社か?」
くらいにしか思われませんでしたから(笑
実はこの頃から、独立したいという気持ちが芽生えていました。
◎4年間の駐在が終ったあとも、NTTにいらしたんですか?
そうですね。マレーシアでの4年間が終わり、帰国しました。
ところが当時のNTTは持ち株会社、西、東そしてコミュニケーションズと4つに会社がわかれたり、
とにかく体制がいきなり変わって、内部はめちゃくちゃでした。
帰国してからもマレーシアでしていたような、交渉の仕事をしたかった僕は、
なぜかシステム開発部に配属になってしまって・・・そこで転職を決めました。
当時は行政書士の資格はなかったですが、交渉の仕事が自分にあっている、
続けたい、という気持ちは、はっきりとありましたね。
転職した先は特殊電線を扱う会社で、そこで取引先との契約書を作成する法務担当として働き、
次の転職先のパチスロの会社では、ラスベガスにスロットマシーンを輸出するためのアメリカネバダ州の
関係当局との交渉を任されました。
大きな声では言えないですが、僕のいたパチスロの会社は危ない事もいっぱいしている会社で、
僕自身、多額の弁護士費用を支払って裁判ばかりしていましたし、100%自分の会社が有利になるような
理不尽で不平等な契約書をしょっちゅう作っていました。
◎会社にとって大きな契約を任されておられたんですね。
もちろん最初は罪悪感があったのですが、そういう契約書を作れてしまうことに、
つまり自分にそういう強力な説得力や交渉技術がついてきている事に、
だんだん快感を覚えるようになってきてしまったんです。
「黒を白にするなんて簡単じゃん!」なんて錯覚することもよくあったんです。
正直『これはやばい』と思いましたね。
本気で『ダークサイドに落ちる』と思いました(笑
このころですね。現実的に資格を取って独立の準備をしようと決めたのは・・・。
◎それではいよいよ独立に至るまでのお話を聞かせて頂けますか?
独立前に実践した成功習慣があるとお伺いしましたが・・・。
NTTの仕事でマレーシアに居たころから、独立心は強かったんですが、
やはり大きな会社で契約をまとめるという重要な役割も、
やりがいは大きく、2009年まで会社勤めを続けていました。
でも本当のところを言うと、会社をやめて独立することが怖くて
仕方がなかったんです。
そこで、会社を辞める1年ほど前から、その恐怖心を克服するために
ひとつ実践していたことがあるんです。
そもそものきっかけは、いわゆるサラリーマンではなく、
既に起業して成功しているひとに会って、話してみたいと
思ったことなんです。
それで色々なセミナーに参加するようになったんです。
最初は5000円~1万円くらいのセミナーに
行っていたんですが、失礼ですけど、参加者の方々も
それなりの人しかいなかったんです(苦笑)
でもあるときフォトリーディングセミナーという10万円くらいする
セミナーに参加したときに、それまで参加していた安いセミナーとは、
ガラッと参加者の質が違ったんです。
これが僕が独立前にやった、っていうか今でもやっている成功習慣
とも言うべき行動パターンの初体験でした。
その時に、「高額セミナーに出席するという決断をした人達は
人生においても本物の成功者である可能性が高いのでは?」
と直感的に思ったんです。
そこで、以前の自分だったら絶対に参加しなかったような
高額セミナーに「エイヤッ!」と参加してそこにいた成功者の
オーラを浴びることをとにかくたくさんやってみたんです。
多分1年間で400万円ぐらいセミナー参加費で使ったん
じゃないかと思います(笑)
◎セミナー参加者の中で、特に影響を受けた方はいらっしゃいましたか?
あるセミナーで、20歳の女の子に出会ったんです。
50万円の、すごく高いセミナーなんですよ?はじめはビックリしましたね。
なんでこんな若い子が?って。
さらに話を聞いてみたらお父さんがいなくて、母子家庭。
大学も奨学金をもらって通っている。
新聞配達などのアルバイトをしたりして生計を立てている。
もちろん僕よりもかなり貧乏な訳ですよ。
でも彼女はそのセミナーの価値を一瞬で見抜いて、
自分が考えられるありとあらゆる手段でお金をかき集めて
参加したと言ってました。
その価値を嗅ぎ分ける力や、判断力、パワーには、敵わないな
と思いましたね。
そして、会社をいつまでたってもやめられずにウジウジしている
自分が馬鹿らしく思えてきました。そしてこういう人とただ一緒に
いるだけで、そしてそのオーラを浴びるだけで、絶対に自分は
成長できると確信しました。
このように価値ある高額なセミナーだからと言って、必ずしも
お金持ちが集まっているわけではないんです。
でも、もの凄く能力の高い人、感度の高い人が集まっている可能性が高い。
そのオーラを浴びることで、知らないうちにその人達のオーラが
自分の中にも入ってきて、いつの間にかその人達と同じ行動を取れる
ようになるんですよ。
ちなみに僕は絶対に満員電車に乗らない事にしているんです。
逆にオーラが淀むから(笑)
痴漢、悪質な酔っ払い、喧嘩、愚痴、他人の蔭口、居眠り、怠惰な感じ等々
あれほど人間のマイナスオーラが満ち満ちている空間はないですからね。
今でも定期的に成功者の人と一緒にご飯を食べたり、過ごしたりすることで
オーラを高めているんです。これは本当に大切だと思います。
◎退職と行政書士の資格取得のタイミングはいつだったのですか?
独立準備を進めている間に、
ラッキーなことに勤めていた会社がリーマンショックで経営が傾いてきて、
希望退職を募り始めたんです。
会社都合で辞められるなら、いまだ!と思いましたね。
そこで行政書士の資格を取る前に退職してしまったんです。
普通は資格を取ってから辞めますよね(笑)
試験は退職の数ヶ月後でしたが、何故か、落ちる気はしなかったですね。
あまりのタイミングの良さに、宇宙から「今がチャンスだ」と言われている
ような気持ちすらしました。丁度、2009年6月頃の話ですね。
そして宣言通りその年の試験に合格し、2010年5月に開業しました。
◎いよいよ開業ですね。すぐにセミナー業を始められたのですか?
今でこそ業務提携のセミナーを沢山やらせて頂いていますが、
開業して1年半くらいはセミナーはやってなかったんです。
実はそれまでの起業して1年の売り上げは、正直少なすぎて
ヤバかったですね(笑)
おまけに友人から頼まれて、今にして思えば怪しい投資案件に
多額のお金を投資してしまって失敗し、サラリーマン時代に貯めた
全財産がなくなってしまったんですよ(苦笑)
電話料金も払えなくていつも通話停止されていましたし、
お金がないので毎日、昼と夜は吉野家や松屋で牛丼を食べてました。
セミナーを定期的にやるようになってからは相談件数も格段に増えました。
◎業務提携契約専門という風に特化したのには理由があるんですか?
はい。
世の中のすべての事は
「絶対に必要なもの」
「なくても良いけどあったらいいなーぐらいのもの」
「なくても良いもの」
の三つに分けられるんですが、「なくても良いもの」は簡単に捨てられるんです。
「なくても良いけどあったらいいなーぐらいのもの」を捨てるのが難しい。
でもそれができないと何の意味がないんですよ。
なぜならそれが全体の7~8割ぐらいを占めるんですから。
僕はずっと、「なくても良いけどあったらいいなーぐらいのもの」を捨てられ
なかったんです。
具体的に言うと、外国人ビザとか、遺言書とか、業務提携契約以外の
案件も、何でもやりますよってスタンスだったんですね。
でもそれでは駄目でした。
「なんでもやります」って言うとお客さんは何も頼んでくれないんですよ。
『これしかやりません!』というものをはっきりさせる。
この決断と勇気が大事だったんです。
それで業務提携契約専門と名刺やHPに書くようにしたんです。
するとたくさんのお客様が日本だけでなく世界中から来るようになって、
初年度の10倍以上の売り上げを記録することができました。
それは業務提携契約専門とアピールする事で、仕事に対する絶対的な『自信』を、
お客様に感じて頂けたからだと思います。
おもしろいんですが、「業務提携契約しかやりません!」って言っているのに
「遺言状」とか「建設業の許可」とか「外国人のビザ」とかの依頼まで来るように
なりましたね(笑)
それは全部他の行政書士の先生に紹介しちゃってますけどね。
◎ずばり、独立してからのお仕事、楽しいですか?
もの凄く充実していますね。
僕のオフィスはレンタルオフィスで行政書士ばかり8人も
いるので、案件によってはチームで仕事を割り振ったりも
しています。
信頼できる仲間に囲まれて、学生のときに思い描いていた、
素晴らしいコミュニティーを築く事ができたと実感しています。
というのも、行政書士には1万種類くらい仕事があるので、
仕事の取り合いにはあまりならないんですよね(笑)
なので、競争社会が苦手な僕には本当に天職だと思っています。
夢が1つ叶ったなと、思っています。
◎これからやりたいことを是非教えて下さい。
これからやりたいことは二つあって、
ひとつは「裁判の無い世の中を創る事。」
もちろん殺人とか強盗とかの刑事裁判はなくならないと思うんです。
でも売掛金の未払いとかノウハウなどの知的財産権の侵害などの
民事に関しては僕が専門にしている業務提携契約にしても、
最初からお互いがきちんと契約交渉で互いの主張を聞き、
自分の主張をして、互いの妥協点を探し出し、それを契約書に
落とし込んでいれば、裁判なんか起こらないはずなんですよ。
記録に残すとか、書面にするとか、そういうことを世の中の人に
もっと大切にしてほしいですね。
そしてもう一つは、
「マレーシアに進出すること。」
縁のあったマレーシアで、またお仕事をしたいですね。
マレーシア半分、日本半分で仕事をしたいので、
まさにノマドライフクリエーターになりたいわけです。
我ながら、すごくいい感じに〆られたかな?(笑)
◎遠藤さん、ありがとうございました!
これからもご活躍をお祈り致しております。