インタビュー企画第5回 Kanglo Corporation 代表取締役社長 藤井利幸さん
インタビュー企画第5回では
22世紀へと続く人と組織の革新・変革を支援するイノベーションコンサルティング集団
『カングロ・コーポレーション』の代表である藤井利幸さんに
ご登場頂きました。
コンサルタントとして企業のサポート事業はもちろん、
プレイヤーとしてアフリカでの事業を実現させた藤井さんの、
素晴らしいビジネスセンスを学ぶ事の出来る貴重なインタビューとなりました。
カングロ・コーポレーションの公式サイト
http://www.geocities.jp/kanglocorp/
藤井利幸さんプロフィールはこちら
http://www.geocities.jp/kanglocorp/profile1.html
☆小さい頃はどんなお子さんだったのですか?
僕は茨城県東海村で生まれました。
周りには畑や田んぼがたくさんあったので 自然に外で遊ぶのが好きな子供になりましたね。
とくにガキ大将という訳ではなかったですが、活発だったと思います。
☆スポーツや部活動はなさっていましたか?
僕は野球が大好きで、大学までずっと続けました。
外野を守って、バッティングに力をいれていましたね。
普通の野球少年と少し違ったことは、僕は高校の頃から指導者志望だったことです。
つまり、監督になりたかったんです
大学は筑波大学に進学したのですが、3年目からは2軍の監督をさせていただきました。
筑波大は大学野球界の中では強いチームでしたから楽しかったですね。
☆確かに珍しいですね。
大学の授業でも教育者・指導者としての勉強を積まれていたのですか?
そうですね。
大学の授業で教育学を学びながら野球部の監督を経験して、
指導者としての世界を広げていきました。
大学生活後半には教育実習もして、教員免許も取りました。
しかし僕の場合は教育実習をきっかけに企業への就職に方向転換したんです。
ずっと同じ授業を40年とかやると思ったら、僕は違う事がしたいなと思いまして。
☆それで卒業後は就職なさったんですね。
どんな会社でどういったお仕事をなさっていたのですか?
僕は1992年に株式会社リクルートに就職しました。
バブルがはじける直前でした。
リクルート社はとても面白い会社で
とにかく沢山の経営者の方に会う事ができるのが魅力でした。
人材総合サービスという部署で、
お客様の会社の採用計画を立てるのが僕の主な仕事でした。
競争が激しい会社でしたので、当然負けん気も強くなりましたし、
当時は社内報で全国の営業担当のトップに載ってないと嫌だったんですよ。
働かされている感覚がなかったので時々会社の床で寝泊りするくらい打ち込んでいました。
今の時代ならブラック企業だなんて言われてしまいますね(笑
独立するまでの12年間は、とくかく鍛えられました。
☆12年リクルートの社員として走り続けてきたなかで、
独立に至ったきっかけはなんだったのでしょうか?
きっかけは 僕自身が経営のプレイヤーになりたいと思ったからです。
リクルートの仕事というのは、お客さまの経営支援なんです。
つまりプレイヤーではなくサポーターなんですよね。
僕はどんな上場企業だろうと社長に会うようにしていましたから、
社長によく言われたんです。
お前にプレイヤーができるのか?とか、
人材面ではスペシャリストだけど、経営はできるのか?とか。
確かにそういう経験が僕にはありませんでした。
でもチャレンジしたい気持ちは勿論ありました。
そこで当時お客様だったある会社の事業再生を任されたことをきっかけに
リクルート社を卒業しました。
☆サポーターからプレイヤーになられたわけですね。
はい。プレイヤーとしてちゃんと自分の会社を創ろうと決意し、
事業再生のコンサルティングに特化した会社を創りました。
といっても法人化はもう少し先です。 当時から僕の会社は 金融面ではなく、
よりよい組織作りや営業戦略からのコンサルを売りにしていました。
☆独立されるときにご家族から反対されたりしませんでしたか?
35歳で独立しましたが、ご家族にはとくに反対されませんでしたね。
妻は僕の性格をよくわかってくれているんでしょうね。
普通ならば大きな会社から独立するなんて、
反対されても仕方が無いと思うんですが・・・。
本当にありがたいことです。
☆独立後のお仕事は順調でしたか?
事業再生のコンサルティングは3年やりました。
出来る限り会社の内部に入っていって、結果もしっかり残す事ができました。
そしてもっと扱える案件を広げたいと考えて、
JDパワーという顧客満足度調査を行うアメリカの会社の
日本法人で修行をさせていただきました。
この会社を修業先に決めたのは、
お客様の声を会社の改革に反映する方法論を見つけたいと感じたからです。
☆そして修行を終えていよいよ2010年に法人化されたんですね。
はい。2010年、正式にカングロ株式会社として法人化しました。
カングロというのは、 感謝for the グローバルという言葉を短縮した造語です。
日本法人のほうではイノベーションコンサルティングを標榜して、
企業の変革支援を行っています。
事業再生というとネガティブなイメージを持たれる方も多いと思いますが、
そうではなく、企業として時代の変化に対応していくことや
組織の革新能力を伸ばすと言うような アイデアをもってやっています。
顧客は法人のお客様で、沢山の顧客を抱えることはせず、
常時2~3社をじっくり見させて頂いています。
☆藤井さん流の経営戦略についてもうすこし詳しく教えて頂けますか?
みなさんもご存知の通り、
リーマンショック以降日本にも多大な経済的ダメージがありました。
そのときなにかインパクトのある経営戦略のケーススタディを
打ち出したいと考えて、 僕が研究対象としたのが
ラスベガスのザッポスという靴のオンラインショップの会社でした。
☆なるほど。リーマンショックにも負けない会社の秘密を探られたのですね。
実際にラスベガスに行って会社を見て、その組織のあり方には心酔しました。
ザッポスは凄くユニークな会社で、”社員の幸せが第一”という考え方が
一番の経営戦略なんです。
そこに集中すると自然と売り上げも高まると。
自分の生活が楽しくなければ他人の幸せ、
つまり満足を本気で願う事はできないわけですよ。
☆確かにそうですよね。自分が幸せでなかったら、
良いサービスを提供し続ける事は難しいです。義務感で仕事をしてしまいそうです。
でも義務感では本当に必要とされていることを見失ってしまいそうです。
その通りです。
加えて、特にオンラインショップ経営は、差別化がとても難しいんです。
人を介さないことがオンラインショップの便利な所な訳ですから・・・。
しかし、 それに対して”顧客満足を本気で願う会社”が差別化の為に選んだ選択が、
”コールセンターの充実化”なのです。 つまり、ベタベタな人間力なんですよ。
オンラインショップなのに人間力?と感じると思います。
でもそれが”社員の幸せが第一”を掲げてきた会社だからこそ
発想できた戦略なんだと思います。
☆なるほど。本当に必要とされているのはオンラインで購入した靴の
アフターサービスなのだと、 気付いたんですね。
こうしてザッポスはコールセンター
(ザッポス社ではカスタマー・ロイヤルティ・チームという)
の充実にものすごく大きな力を注いだわけです。
電話をかけたお客様が本当に感激したっていう
『WOW』なエピソードが実際に沢山あって。
「すごい会社」があると、アメリカで一気に噂が広まったんです。
☆実店舗でなく、オンラインショップが口コミで広がるというのは凄いですね。
ザッポスはたった10年で1000億円企業に成長し、
2009年にamazonに1200億円で買収されました。
僕はこのビジネルモデルからは学べることが沢山あると確信しました。
さっきお話ししたことに繋がりますが、
amazonができるだけ人を介さずに商品を届けようとする
システム充実型のオンラインショップであるのに対し、
ザッポスはベタベタに人を介してサービスを充実させる会社なんですね。
ただ、顧客満足度を高め続けるという目標は当時から両者とも一緒だったそうです。
ですから元々ライバル会社であったamazonが、
ザッポスから学ぼうとしたその結果が、
1200億円という大金での買収だったのだと思います。
☆”社員の幸せが第一”という考え方は
実際に社内で学ばれた藤井さんにも感じられましたか?
勿論です。 5000人もの社員が月曜日が待ち遠しいというんですよ。
それだから僕はザッポスという会社のマネージメントや経営のあり方などを
日本にぜひ紹介したいと感じたんです。
そしてザッポスがなんで成功したのかコンサルタントの目から検証し、
日本企業に移植したいと考えました。
☆具体的にはどのように活動されているんですか?
1つは日本の経営者を実際にザッポスを見せに、
ラスベガスに連れて行くという研修ツアーをやっています。
年3回くらいですが色んな会社の方に参加して貰っており、大好評です。
2つ目はセミナー『イノベーションサロンZ』です。
これは、アメリカの会社で成功した事は
そのままでは日本企業では通用しないといわれるから
ザッポスのやり方に近い日本の企業を研究しようという試みです。
ZはザッポスのZなんですよ。
ザッポスのような精神をもった会社が
世界にイノベーションを起こすのだと僕は信じています。
☆セミナーや研修ツアー以外にはどんな事業をなさっているのですか?
セミナーや研修ツアー以外には、企業の変革能力を高めるための
コンサルティングメニューを持ちそれを提供しています。
加えて、プレーヤーとしてアフリカを舞台にした事業も行っています。
アフリカに興味を持ったきっかけをよく聞かれますが・・・
まず僕の場合は小さい頃から祖父の影響で、
人の役に立ちたいと言う気持ちが強く在りました。
そして小学校3年生の頃、飢餓に苦しむ子供の広告を初めて見た時の衝撃が、
今に影響していると思います。 本当に今でも忘れられません。
それはナイジェリアで250万人もの人たちが餓死したという大変な事件(ビアフラ戦争)
を扱った広告だったんですが、 当時そのことは世界中のだれも知らなかったんです。
隠された残酷な真実に対して、
子供心に「おかしい、なんなんだこれは」と思いました。
そして大人になってアフリカに事業を通じて関わりたいと思いました。
早稲田の大学院を出たナイジェリア人と出会ったこともきっかけになり、
昨年カングロのアフリカ現地法人を創ることができました。
彼は非常に優秀なエンジニアで、
地元に帰って大統領になりたいと思っているような ガッツもある人物でした。
こんな風に良い出会いにも助けられて、今の僕があるのだと思います。
☆アフリカでの事業内容を教えて下さい。
日本の技術でアフリカの水問題、エネルギー問題、
食糧問題、環境問題を解決するというのが主な事業内容になっています。
収益化はこれからですが、他の事業から資金を注入してで成長させている所です。
模索しながら運営するなかで、
機械モノを輸出するのは大変だということが分かってきました。
そこで今はナイジェリアで養蚕事業を進めています。
ナイジェリアはキャッサバ(タピオカともいう)が世界最大の生産地で、
その葉を食べる蚕がいるんです。
その蚕を育てて繭や蛹などを有効利用する事業を、
既にナイジェリアの2つの州からオファーを頂いて、
現地の雇用創出と産業化プロジェクトとして実施しているところです。
この事業にたどり着いて、
やっとプレイヤーになれる仕事ができたという実感があります。
☆多岐に渡る事業内容に驚くとともに、こうしてお話を御伺いすると、
子供の頃から今に至るまで、すべてがきちんと繋がっていること、
その実現力に感動してしまいました。
小さい頃に世界の真実に対する衝撃を持った事、
優しい心を持った尊敬する祖父からの教え。
それらが今の自分を形作ったのかもしれません。
企業研究から多くを学び、
他社の成長を助けるという今までの僕の仕事があったからこそ
今こうして他国への助けが事業として出来るようになったのだと思いますし、
海外での企業研究にしても、
リクルート社で飛び込み営業をしていた経験を海外でも発揮できたから
成功した事ですし、こうして振り返ると一つ一つの経験が
未来の自分に繋がっていることを感じます。
これからも真実ときちんと向き合いながら、
学ぶ事を止めずに、人の役に立つ事業をやっていきたいと思います。
☆藤井さんありがとうございました!