インタビュー企画第4回 KM Pacific Investments Inc.社長 枡田 耕治さん

インタビュー企画第4回は、KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田 耕治さんにご登場頂きました。

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KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田 耕治、CCIM、CPM
KM Pacific Investments Inc. kmpacific.com
Facebook KM Pacific Investments Inc.

1969年(昭和44年)7月22日に神奈川県横浜市に生まれる。
その後幼児期に現住所の藤沢市に移る。
13歳でカナダのビクトリアへ留学生として、
セントマイケルズ・ユニバーシティースクールへ転校。

1990年より北米西海岸のオフィス・ポートフォリオの運営・運用に携わる。
前職のAMB プロパティー・ジャパン(現Prologis)では、
アセットマネージャーとして
約34万平米の自走式大型複合倉庫(365億円相当)の
物件を運営、ポートフォリオを運用。
Certified Commercial Investment Member及び
Certified Property Managerの称号を取得。

学歴はワシントン州立大学(米国シアトル市)にてExecutive MBA、
パデュー大学(米国インディアナ州)にて経営学学士を取得。

趣味はラグビー、ヨットとジョギング。

 

 

 

◎現在カナダを中心にグローバルにご活躍の枡田さんですが、
海外進出のきっかけはなんだったのでしょうか?

僕は神奈川県の横浜で不動産業を営む家系のもとに生まれました。

父は当時の日本では圧倒的にグローバル意識が強く、
1970年代にはアメリカに不動産投資で進出していました。
昭和一桁世代で生まれた父親ですから、
本当は自分も留学して学びたかったという夢があったんだと思います。
その夢を我々息子二人に託す為、僕が中学2年、弟が小学校卒業時に
カナダのボーディングスクールに転校しました。

◎14歳で留学!凄いですね。お母様に反対されたり、
行きたくないと言ったりしなかったんですか?

我が家は父を中心とした封建的な家庭でした。
先々代は枡田組という建築屋の棟梁でしたから。(笑)
母も最初は反対しましたが、
仕方なく賛成してましたね。
僕は友達と離れるのが嫌だったので、全く行く気はありませんでした。
出発迄の5ヶ月間は父親の顔を見るたびに、ひたすら拒否していました。(笑)
でも最終的には「兄貴として」行く事になりましたけどね。
弟のほうは事の重大さがわかっていなかったのか、
割とあっけらかんとして、素直に賛成して行く気満々でした。
ただその分、彼の方が実際に行ってからのホームシックが酷かったようでしたね。

でも今ではこの経験が人生最高のステップアップでした。

◎実際のボーディングスクールでの生活はいかがでしたか?

ボーディングスクールというのは全寮制の寄宿学校なんですが、
英語が出来なかったので、まず全く言葉が通じなかったですね(笑)

今でも覚えているのは、学校の
寄宿長に念のために警察と
救急車の呼び方を教えてほしいと頼んだ時の会話が30分ぐらい掛かったことです。
一字ずつ和英と英和辞典を見せ合って、単語一文字ずつ指して「会話」してたんですから。
今考えると可愛いもんですね(笑)
これが初めて通じあえた「英会話」でした。正直とっても嬉しかったですね。
30年経った今でも覚えてる訳ですから。この頃は毎日辞書を抱えての生活でした。
ただ辞書って単語はわかっても文章にはできないから、
「ハァ?」なんて言われる事もしょっちゅうでした。
でもそんな僕でもつき合ってくれる親友が出来、彼らとはいまだに付き合いが深いですよ。

◎なるほど。素晴らしい体験だと感動すると同時に、
ストレスも大きかったのではないかと思います。

そうですね。英語がちゃんと書けるようになるまで4年はかかりましたね。
大学の論文は中身の採点より、英語の修正の為に赤ペンで埋め尽くされてました。
ただ数学なんかは英語を使わなくていいので、高校でも一番上のクラスでした。
日本からも教科書は持っていってたので、中学3年の数学は夏休み中に自習しました。
そういう負けん気は当時から強かったです。
子供時からスポーツで鍛えられてましたから(笑)
部活はサッカーが無かったので、ラグビーをやってました。
カナダ国内の強豪チームの一軍選手としてプレーして、
イギリスや日本等への遠征にも行きました。

ラグビーは結局社会人になってもやってましたし、
自分のなかでは海外で生活する上での大きな支えでした。

◎グローバルなご家族ですね。枡田さんは大学ではどんな勉強をなさっていたのでしょうか?

僕はカナダのボーディングスクールを卒業した後、アメリカの大学に進学しました。
理数系に強い大学で、パディユー大学というインディアナ州にある州立大学へ行きました。
学部では経済を専攻し、
大学院はシアトルにあるワシントン大学でエグゼクティブMBAを取得しました。
エグゼクティブというのは特化したメジャーを勉強するのではなく、会社運営を学ぶ、
経営者育成スクールというイメージですね。
でもすごく力がつきました。精神的にもすごく試されましたし。
仕事している時間を除くと、
家族といる時間より5人のチームメートと一緒にいる時間の方が多かったですからね。
チームメイトも今は北米全域に散らばっていますが、会える機会があれば今でも集まってます。

◎就職はアメリカでなさったんですか?

卒業するとき日本の企業からは複数のオファーを頂いたのですが、
そのころの僕は日本に帰りたくなかったんです。
僕はアメリカで働きたかったんです。自分の力を試すためにも。

でも日本の企業のオファーを全部お断りしたら、行く所がなくなってしまって。
結局その時は父親に頭を下げましたね。
父親の不動産会社がNYに進出して、そこで研修員として働く事になりました。
NYに1年半、シアトルで1年半、計3年アメリカで働きました。

しかし、その後家業を離れて日本で起業したんですが、
2年でお金がなくなって会社を潰しました。
本当に甘かったです。
清算した後は前の奥さんに食べさせてもらいながら日雇いの生活をしました。
毎朝会社に電話して仕事を頂くんです。
運良ければ、仕事を貰えますが全くない日もありました。
やっていた事は主に、引っ越し手伝い、警備員、バーゲンの売り子などです。
その時に支えてくれた元奥さんには、今でも感謝しています。

数年後、東京で不動産ファンド会社勤務時に、父親から戻ってこないかと誘いがあり、
それが今の会社の始まりです。

◎今のお仕事についてお聞かせ下さい。

今はカナダのバンクーバーというところで
不動産投資・管理会社を営んでいます。
他国内資産運用会社と差別化を図る為にも、
投資先市場でハンズオンを重要視した投資運用を行なっています。
業務内容については
、古い倉庫物件等を改築して新規賃貸ビルとして提供する事です。
新しい価値を生み出す、隙間産業的な位置づけと
自分の感性と市場の読みが勝負になるので、
とても遣り甲斐があり面白い仕事です。

今やっと一物件目の改築が大詰めに来た所です。
弊社のHP(若しくはFB)で状況を常にアップしていますので、
良かったら覗いてみて下さい。

◎これからの目標や、枡田さんにとっての成功とは何か、教えて下さい。

僕は一人の日本人として、「日本人って凄いんだ」ということを、
世界にもっと発信したいと思っています。投資の面では
バブル崩壊後は、海外進出して失敗した日本の不動産投資会社は
世界からあざ笑われました。
もちろんアメリカの国政の被害を受けた会社もありました。
基本的な土地へのコンセプトが違った為に、
日本の不動産は世界では通用しなかった。
でも今では現地の人間と張り合って、
物件購入をして市場性を競ってます。
また「輪」、「和」というコンセプトは
日本人がもっと胸を張って誇りに思う事だと思います。
「おもてなし」もそうです。相手の懐に入り込んで、
相手が把握出来ていないニーズを与える。
こんな高度な事を提供出来るすばらしい民族は、
世界何処を探しても日本人以外いないと思います。

僕は日本人はもっと世界に挑戦し勝負に出るべきだと思うんです。
だから僕は”ペリーの黒船”じゃないですが、
「逆黒船」で日本から外に出て、「日本人は力強いんだ」と、
存在をアピールし続けたいと思っています。
そして、もう一度自らの力で開拓していく日本の不動産を
世界地図に載せたいんです。

僕にとっての成功は、枡田だから任せたいと思って頂ける仕事を増やす事です。
お金ではなく、信頼と共感してもらえる人とぎりぎりまで切磋琢磨し合う事です。
そして、社会の中で生かされている事を理解し、共存し、人類の向上に貢献する。
そしていかなる時にも群れの前に立ち牽引する事を恐れない。
これが枡田に伝わるノーブルスオブリガス(Nobles Oblige)です。
もちろん枡田家は田舎出の一般庶民家ですが。

その積み重ねで会社も自分も成長して行き、社会が良くなる。
それこそが成功なんだと思います。

今後は他の投資家達とも組んで、
ビルの再開発を含めたファンドビジネスや不動産サービス業等にも
参入して行きたいと思っています。

◎最後に、小さいころから日本を客観的にみていらした
枡田さんだからこそわかる、読者の皆さんへのアドバイスを頂戴できますか?

もっと皆さんに海外に出てもらいたいですね。
ツアーやリゾート巡りでなく、
自分の足で今とは違う価値観を身につけてほしいです。
海外が無理なら、日本国内をリュックを背負って歩いてみては如何でしょうか?
いつもとは違う方法で達成感を味わうと新しい自分を見つけられると思います。

そしてもっともっと日本人である事に誇りを持って、
自分をアピールして欲しいと思います。
世界では皆さんが日本の代表なのですから。

◎枡田さん、ありがとうございました!

2014-09-16 | Posted in intaviwNo Comments »